函館のふもとから

ポタリングと尾瀬から函館のふもとでつれづれに

父親

父・・・親。

このお題はスルーしようかと思っていたけど、頭にコビリ付いてしまって先に進まない。
だめだ。バラシチャエということでバラソ!。
処で父は未だ生きてます。

北海道の南に位置している函館付近は奥地に比べると暖かいですが、
有名な”北の国から”とか”北の零年”のように、
(両方とも私は見てないんですが)温暖化になったとは言えマダマダ寒さは厳しい。
明治末頃〜大正時代の入植者だった爺さんは52歳で死にました。
その当時23歳位の父は突然の重責を背負ったわけですが、24歳位で結婚していて、自分の下に兄妹がいて上に姉がいて嫁がせたり分家させたりした。
だから可也ワンマン(ぶっ飛び)です。
私が小さい頃、虫の居所が悪くって、兄が散髪した後のおつりを使ってしまったことに腹を立てて折檻した。
夕食のお膳をひっくり返してね。
当時、祖母が生きていたので”それ以上したら死ぬ”と留めに入らなければ死んでいたかも・・・。
二十歳過ぎ位までこの折檻シーンを良く夢に見ました。

大酒のみで”ばんば競技”に手を染めていて然も女を作っていた・・・これは中の兄が死んだ時に発覚した。
ウスウス気付いてはいたんだけどね。
この時は流石に俺のせいかなぁって、ボヤク後姿に”反省してるなら許してくれるよ”っていた記憶がある。


全部知っている長兄が母が死んだ後、家を出たのは当然のことで、現在老夫婦二人が住んでいる田舎に帰ろうとしないのも納得の行くこと。
自分のしたことを棚にあげ、長兄に帰って来いと言う親は哀れだと思っていたら、矛先が私に向かってきたんだ。
一応、年1回帰省していてなるべく滞在日数を減らすようになったのは何度も書いたけど、来年から帰るの辞めようかとも思ってる。
或いは泊らずに戻るか。ソウユウわけにもゆかないだろうけどなぁ〜。
親は徘徊してようが老衰していようが自責の念は起らないけど、おじ、おばが心配ではある(恩義を感じて)。
実際親には腹立ててますって言うか鬱憤が爆発してしまったんだ。

帰省した後、報告することがあったので兄に電話したら突然、
”お前帰れよ〜”と言うので定年になったら戻ってもいいよって伝える程。
60歳じゃ間に合わないとか呟くし(嫁さんにどうするの?ってせっつかれているんだろうな・・・)。

兄妹の一致した気持。生きている間一緒に住みたくない。
ただ、私には責任が無い。煩く言う嫁もいない。
可哀想な兄ちゃん。でも、帰らないだろうなぁ。
そんな兄妹の仕打ちを身にしみているのか、長生きしてますよ。
内の父。
子があてにならないので自分でと思うらしく、トラクターに乗って雪掻きしますし、去年腎盂炎で懲りたのか水を摂取して歩くようなっていた。

でもね、チチ・・・我々子は親を当てにしませんでしたよ。
特にお金のお願いで断られてから一切親には相談してませんよ。

長生きしなよオヤジ。
其れがあなたの罪滅ぼしだよ。