函館のふもとから

ポタリングと尾瀬から函館のふもとでつれづれに

2014年を振り返り

2013年12月末、父親が玄関で転んで額を切った。
そりゃ大騒ぎした。
私は旅費の工面仕事の関係などと9月に一度戻っていることもあり様子を見た。
兄に任せた。

元々足が弱っていることも有、持病を持っていたこともある。
が、足が弱くなったのは寝転がってTVを一日中見ていたせい。
歩いて水分とって規則正しい生活をしろと言っていたが聞く耳持たない。
そうこうするうちに入院生活に突入し同室の爺さんと喧嘩して病院を追い出されそうになった。
この間兄が対応していたが、泥沼の様になっていた。
相手は帰ってこい、東京組は帰れない、親のこととどうするんだと言う感じ。
兄からのSOSで仕方なく帰ったのが3月の連休。
東京組は帰ってこいと言われハイ判りましたと帰れない事情があるのに、聞く気なし。
兄に取合えづ嘘でもいいから帰ると言えと姉と協力して知恵をつけ、
民生員に相談して親の転居先を確保し入院先に戻ったら転居先は決まっているって言う話。
兄ちゃん話何聞いてんだよ・・・って頭の中で怒鳴っていた。
親が兄に面倒を見て貰いたいという要望で私の出番まるで無の状況のもと取合えづ落ち着いた。
親はリハビリ介護施設に入っていて環境にも慣れて、体重も元に戻れて元気になったのでした。
メデタシメデタシにはならない。
親にとって兄がだめならの伏線でこいつは俺の言う事聞くとでも思っている節があり、
私のお願いは全て却下されている。
私の事情もあり、田舎に帰ろうって決めたのは親が倒れる前。
親の土地はもういらんと言う事で内緒で函館に家を買ったのでした。
で・・・ばれて、親は私と住む気になっている。
お陰様で家につぎ込んだ金額が予定外に出費したため定年まで勤めることにしたのでした。
親のキラキラした眼を見た瞬間ぜってい帰らないって思ったのでした。
親の生きがいを・・とか言う方もいるかもしれませんが、親の為に一人で生きてきたわけではなく、親に寄り添う事もなく一人頑張ってきた私の人生です。
親がもう少し常識のある方なら寄り添う事も出来るのですが、いかんせん難しいとです。