函館のふもとから

ポタリングと尾瀬から函館のふもとでつれづれに

小学2年の夏。
時期がお盆かもしれない、秋祭りかもしれないそんなアヤフヤナ記憶ですが、夜だったのは覚えてる。
母親も居たのは覚えてるけど一緒に帰った記憶が無い。
母は婦人会の後片付けで別行動だったと思う。
同じ車には居なかった、
まぁ、親は放任だったのでそんなこともあるだろうなぁ〜。
で、事件はそんな状況の中で起った。
私の実家は北海道でも交通量の多い国道沿いで真っ直ぐな道が緩くカーブする場所にあります。
殆ど真っ直ぐなのですが緩く曲がっているため、突っ走ってきた車が其の儘車庫に入ってしまうほどなんですね。
そんな国道を横切るのに何を思ったか家の手前で降りて渡ろうとした。
車に乗って渡ればいいものを気兼ねしたのか・・・。
結構、大人の顔色を見る子では有ったけど。
で、当然事故に遭うわけですよ。
交通量が多いと言っても昼間の話で昔は夜になると”偶”にが付く位の交通量なのに係らず、
見事にバイクと接触、跳ね飛ばされて一回転して着地。お尻でぺっタン。
荷台か前輪側か定かではないんだけど、頭を折りたたんで回転していたのは覚えてる。
怪我は右肩にヒビが入ったのと左脚脹脛の裂傷。
この時、病院まで行くのに2tトラックに乗せられ連れて行かれた。
痛くはなかったけど真っ暗でヒタスラ母親を呼び叫んでいた。
そしてトラックに乗せられ、この時母が居たかも記憶にない。
病院に着き手術台の上で泣き喚いてたら怒られた記憶がある。”痛くないでしょ”ってそれで泣き止んだ。
確かに痛くない部位ではあったし血も出なかったが裂傷は骨際まで深かった。

裂傷が深いのと毎日通院できないと言うことで近くの病院に入院1ヶ月。
母は入院中、見舞いに来ると私のベットで昼寝して帰っていた。
散髪に連れて行かれた時、母の背中が小さかったことを覚えてる。
若いのでヒビの方は順調に治ったが、裂傷は深く入院中で完治しないまま追い出された。
家でオキシフルで消毒してリバノールとバンソウコーを貼り続けていた。結構長かったような。
小学2年生なのに一人で絆創膏を張り直していた。

その翌年、同じ病院に母親が救急車の先導で乗用車に乗って行き、其の儘帰らぬ人になった。
私の短い夏の思い出。