函館のふもとから

ポタリングと尾瀬から函館のふもとでつれづれに

 振り返り

昨日UPしたはなちゃんのみそ汁を書いて自分を振り返った。

母親が死んだのはいつだっけ?と、自分がいくつの時だっけと・・・
お墓で何べんも確認しているし謄本でも確認している。
だけど不確か。
母が死んだとき私は小学低学年。
形は大きかった(早熟)でも中身はなかった(笑)
よく言えば天然、だから読書しました。
このころの記憶があまりないのですが、母の亡骸の横で寝たのは覚えている。
胸を押したのも覚えている。
男3人の女一人。
父親にご飯は指三本を刺し水が一節の位置に計りご飯を炊いとけと教えてもらう。
当時ガス釜一升炊きです。
子供に持ち上がるものではないのですが、形は大きかった力もあった(笑)。
みそ汁作れの前に三平汁を作れって言われて作ったら生臭くって食えなかった(無理)。
学校で豆腐の片栗粉でお澄ましを習ったので作ったら怒られた。
これは葬式の時作るので子供心によくわかった。
当時の私の指はあかぎれだらけでした。
父親が最初に根を上げ再婚したのはしょうがないことなのでした。
でもね、小学低学年の子が教えて貰わないのに作れるわけがない。
料理の基本は小学校の家庭科で習ったのみ・・・飢えないでここまで生き残ってます(ハハ)。