一石橋(いっこくばし)
要約すると
橋を挟んで後藤庄三郎と後藤縫殿助の屋敷があったので
ゴトウとゴトウを足して一石(洒落)
江戸時代の後半、一石橋から日本橋にかけて盛り場であり
迷子が多かったので土地の有力者が世話役になり石碑を立てた
石碑 正面に「満(ま)よひ子の志るべ」
右側に「志らす類(る)方」
左側に「たつぬる方」
左上側に四角い窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた張り紙を張り、
右上側に四角い窪みに心当たりが人は迷子の消息を書いた紙を貼った
要約しすぎかしら・・・
=・=
ここまで来るのに私は既に何処を歩いているか判らなくなっていた(笑)
感覚的にはぐるぐる回っていたように思う。