函館のふもとから

ポタリングと尾瀬から函館のふもとでつれづれに

2012年9月 大江湿原方向

会津(沼田)街道を行く・・

シラタマの実・・・何故か白い被写体は見事にボケル)
9月22日(土)
沼山峠10時に集合する為には・・・尾瀬夜行か大清水から歩くか前泊するかで悩んだ結果、尾瀬夜行23:55発浅草を選択。

(コノ列車便利なんだけど・・・”東武さん”リクライニングにして欲しいなぁ〜そしたらもっと利用するのに・・・)
沼山峠には6時頃着きました。
外でご飯を食べようとしたら寒くって売店に入って食べました。
ストーブが付いて暖かったです(外で食べようとしたらシンシンと冷えてきた)。

時間潰しどうしようかとコーヒーを飲みながら悩んだ挙句に結局、尾瀬沼まで行くことにしました。
気温はチョト低くて薄いフリースを着て歩き始めた(下は半袖とスキンズ)。
沼までの道のりは二日目の講習で歩く為に躊躇していたのです。

今年は狂い咲きしている草花が多いと講師の話。

ついでに二日目の講習の内容も話すと

尾瀬沼畔は交易所があります。
場所は諸説・・・三平下、長蔵小屋付近、尾瀬のいんぞう?などなど

↑はイチイの木。ココも交易場所の一つではないかと・・・。
イチイは尾瀬には無い植物です(処所にあり)。
イチイ=アララギ=オンコ・・・ガッテン!となりました(笑)
(私の説)何番目のイチイの木の下でって言うのが合図で

ロウ(熊の胆)等の密売の取引場所ではなかったかと思うわけです。
交易の品物は会津方面から米、上州方面から雑貨と油、塩の物々交換でした。
会津から馬で運搬、上州から牛で運搬を行っていた。
尾瀬沼辺りで牛が行方不明になることが重なり、牛による運搬が禁止された言い伝えもあり。
最初”クマ”に襲われたの?って思っていたけど。

役人が知らないだけで地元猟師はよく知っていた道が有ったのではないかと思うわけです。
牛ごと運んで途中で解体したのでは・・・と考えるとありそうでしょ?

(オマケ)