函館のふもとから

ポタリングと尾瀬から函館のふもとでつれづれに

子供の頃の夢

子供の頃の夢。
私、小学校の文集という物を家から持って上京していて、大昔読み返したら笑ってしまった。
将来なりたいこと。
よく小学生に課題で出される内容なんですが、我が小学校は25人いや20人学級かな?(あれ忘れた)
全員の作文載せても薄っぺらだ。
作文、私は”商人になりたい”
なんで?と思う出でしょう。
現金収入があるから・・・これにはタブン歯医者に行くにも叔父さん(商店を営んでいた)にお金を借りていって来いと言われていたせいかも・・。
散髪とかは近所に理髪店があったので年の支払いで行けた。
雑貨も掛け払いをしていた。
町に行けば現金が必要で、叔父さんに借りるのがイヤだった(乳歯は自分で抜いたよ)
お米が売れたらそのお金で支払いますのでお貸し下さいという契約だね。
北海道は当時、東京に比べると文化が30年遅れてると言われていたんだ。
家の電球が裸電球の40W。天井をねずみが運動会していた。
私の所はそれでも国道沿いだから未だ電線があったけど、離れたとこは無い家も有った筈。
と言う事で現金商売だと思ったんだろう・・・ネ。
内にTVが来たのも遅かったけどよく停電していたし、親がプロレス、相撲が好きでそっちばっかり写していた。
情報がまるっきり無い状況だね(ドッカのお隣の国と一緒)
ダイレクトに稼げるのはお店(漠然と)なるなら商人。
でも、鶴亀算出来なくって、ソロバンが嫌いで高校の時方向は大きく変わったけど、
会社に入ったら結局、電卓と経理が出来ないと世の中渡って行けないことを身に沁みた。
それでも、経理はしないぞ!と心に誓っているけど・・・(経理屋の独特の陰険が嫌い)。
因みに今の夢、どうぞ此の儘枯れるまで平和でいて欲しい。
ホホホ、鶴亀算、文章を読んでいくうちに話が膨らんでくるんです(頭の中で)。
話を膨らまして作ってしまって答えが出なくなる。未だに出来ないかも・・・。